実践性ボルダリング試論

だが、すべて冗談

いまのわたしを形作るもの

はろー。

当たり前のことを言うよ。

 

いまのわたしが/あなたがいるのは、1秒前のわたしが/あなたがいるから

 

何だっけなー。昔読んだSF小説でこんな一節があった気がする。

んで、良く考えたらクライミングもそう。

おれがクライミングが好きなのは、デカいヤツも小さいヤツも、それぞれの登り方があって、スタイルがあって、岩、もしくは壁は、それを受け入れてくれる(ときには跳ね返してくる)、そんな懐の深さがあるスポーツだからなんです。

それがおれにとってはこの上なく楽しくて、ハッピーなスポーツだなぁって常々思うのです。

 

おれにはクライミング歴もグレードも全く同じな仲間兼ライバルがいて(幸いなことです)、でもそいつとは体格もクライミングのスタイルも真逆なんですよね。

 

おれは低身長ブッ飛び系ダイナミッククライマーで、ヤツは高身長スタティック真っ向勝負クライマー。

おれはリーチも立派な才能だと思っています。

 

4Q3Qくらいまでは同じ課題をトライして、お互いが出来たり出来なかったりとワイワイやってたのですが、2Q1Qに挑み出した最近はいよいよ全く別系統のクライマーとしての道を歩み始めた感がありまして。

具体的には同じグレードでも互いに出来る/出来ない課題がハッキリしてきたりね。

その断絶はまさにそれぞれがどうやって課題に取り組んできたかの違いであり、今の我々があるのは、おれは当初から軽さを活かして足を切り、体幹で止め、ダイナミックに課題をこなしてきたからがゆえ、あるいはそいつは丁寧に足を残し、重心をコントロールしつつトップに辿り着いてきたのだから、てな具合に全ての積み重ねがいまのおれたちを形作っているのだと実感しているのですよ。

 

近頃はお互いが己の強みと弱みを分析し、足りないものを補おうと中上級者に向けた歩みを(ようやく)始めたわけですが、こんな風に振り返ってみればこれまでの一つ一つのトライが現在地に至る血肉として(あるいは悪癖として……)息づいているわけで、何だか感慨深いものがありますよね。

 

飽き性のおれが何でこんなにもクライミングに夢中になっているのか? という自問自答を度々繰り返しているおれですが、こういった行動の連続性とその先の多様性は何だかゲームのキャラメイクみたいで楽しくて、個性という自信にも繋がってきて、それも一つの要因なのかな、なんて思ったりもしています。

 

随分と雑多なことを書き連ねました。

まぁ何が言いたいかっていうと、良いスポーツと出会えたな、ってことです。

 

ではでは。